第五回中島勝祐創作賞は、若獅子会の「若獅子 Ⅰ」に決定いたしました。
第5回(2016年)受賞作品
「若獅子 Ⅰ」
作曲者 若獅子会
【受賞作品データ】
「若獅子 Ⅰ」(わかじし わん)
作曲 若獅子会
編成 邦楽囃子 7 笛 2
時間 約12分
作曲年 2011年
初演 2011年1月30日
日本橋公会堂「第五回 若獅子会」
≪中島勝祐創作賞≫
- 【目的】
- 故中島勝祐氏の遺志を継ぎ、邦楽の伝統を踏まえた創作の中から広く応募作品を求め、優れた成果を示す作品を顕彰する。
- 【募集対象】
- 邦楽器による創作曲(舞踊曲を含む)。応募作品は一人一曲とし、既発表の作品でもよい。
- 【提出物】
- 募集作品を録音した音源(テープ、またはCD)、歌詞。
- 【発表】
- 日本伝統文化振興財団賞を贈呈する時に併せて「中島勝祐創作賞」を発表し、贈呈する。
- 【賞金】
- 30万円、賞状。
- 【宣伝】
- 受賞曲と中島勝祐氏の曲を一緒に収録したCDを当財団で制作・発行し、広く一般に発売・頒布する。
- 【第5回審査委員】
(五十音順) - 加藤 繁治(日本の藝 主宰)
清元 紫葉(清元三味線方、中島勝祐創作賞第1回受賞者)
久保田敏子(京都市立芸術大学名誉教授)
塩崎淳一郎(読売新聞文化部記者)
中島 久子(中島勝祐記念会 代表)
中島勝祐記念会
若獅子会プロフィール
同世代の邦楽囃子方が流派を超えて集まり、2006年に結成した会である。
日頃、日本舞踊や長唄などの三味線音楽で打楽器や笛を担当する若手邦楽囃子方が集まることで、切磋琢磨してそれぞれの芸を高め合い、古典芸能である邦楽を学び、次代に伝統を伝える事を使命としながらも、これからの時代に向けて新しい表現をしていきたい。そしてこの素晴らしい日本の文化を少しでも多くの方に感じていただきたい。そんな思いを持って結成した。「若獅子会」の命名は人間国宝の故、寶山左衛門による。
2006年に第一回若獅子会公演を東京・日本橋劇場にて開催し、以後ほぼ毎年自主公演を重ね、2015年10月に第十回を迎える。当初は古典の勉強、研究が中心であったが、第五回からは囃子のみの創作曲も発表するようになり、邦楽囃子の新しい可能性を模索している。
幅広い層に向けて邦楽囃子の魅力を伝えていきたいと考え、2013年からライブハウスでの公演も行う。創作囃子曲を収録したCD「若獅子」、セカンドアルバム「若獅子Ⅱ」リリース(いずれも私家盤)。
2014年1月、神奈川県立音楽堂主催公演にて日本舞踊家集団「弧の会」と代表曲「若獅子Ⅰ」で初コラボレーション。
2015年3月、徳島文化振興財団主催の公演「日本舞踊×邦楽囃子」で再び「弧の会」と共演し、新作「渦潮」を発表。2015年4月には長野県松本市にて公演するなど、若獅子会としての活動が広がっている。
若獅子会会員(9名)
代表:福原百之助
堅田喜三郎、藤舎呂凰、福原貴三郎、福原鶴之助、福原百貴、鳳聲晴久、望月左太寿郎、望月正浩 (五十音順)
若獅子会会員プロフィール(五十音順)
堅田喜三郎(かただ・きさぶろう)邦楽囃子方
1975年生まれ。祖父の四代目堅田喜三郎に手ほどきを受ける。大学卒業後、堅田新十郎に師事し、2004年堅田一門の許しを得、五代目堅田喜三郎を襲名する。会津東山温泉芸妓屋協同組合の鳴物指導を行うほか、舞踊公演や演奏会、テレビ、ラジオ等にて活動中。
藤舎呂凰(とうしゃ・ろおう)邦楽囃子方
1974 年生まれ。藤舎流の家元に、幼少の頃より囃子の真髄を伝授される。東京藝術大学卒業後、藤舎呂凰の名を許され、古典を中心に国内外で活躍。「囃子の可能」 と題したリサイタルで、古典の常識を打ち破るパフォーマンスを展開。世界に向けて日本の魂を魅せるべく「竜馬四重奏」「ざ・五人囃子」を結成、代表をつと める。尾崎仁彦の名で声優、ナレーターとしても活動。
福原貴三郎(ふくはら・きさぶろう)邦楽囃子方
1971年、笛方福原由次郎の次男として東京都に生まれる。1997年望月左喜三郎に師事。福原貴三郎の名で日本舞踊の会、長唄の会などで活動している。「如月会」会員。
福原鶴之助(ふくはら・つるのすけ)邦楽囃子方
1976年、福原流福鶴派家元代行、二世福原鶴祐の次男として生まれる。1986年祖母の杵屋亀次の会で小鼓で初舞台。1987年望月朴清の会に大鼓で出演、1995年望月左武郎、杵屋栄敏郎に師事。2005年福原鶴之助襲名。
福原百貴(ふくはら・ひゃくたか)邦楽囃子笛方
1982 年東京都生まれ。笛を福原徹、長唄囃子を望月左太郎、長唄三味線を東音小島直文に師事。1999年福原百貴の名を許される。東京藝術大学を卒業後、長唄邦楽囃子笛方として邦楽演奏会、舞踊会、海外公演、テレビやラジオ等、国内外で幅広く演奏活動をするほか、啓蒙活動等にも積極的に取り組む。
福原百之助(ふくはら・ひゃくのすけ)邦楽囃子方
1975 年、常磐津文字蔵(一中節家元、都一中)の長男として東京に生まれる。1991年祖父の四世寶山左衛門(六代目福原百之助)に師事。望月太喜雄、東音浅見文子、福原徹にも師事する。高校卒業後、福原賢太郎として演奏活動を行い、2006年福原流福原百之助派家元、七代目福原百之助を襲名。邦楽演奏会・日本 舞踊会での演奏や各種の企画・公演を行うほか、海外での公演にも多数参加。
鳳聲晴久(ほうせい・はるひさ)邦楽囃子笛方
1982 年生まれ。千葉県佐倉市出身。東京藝術大学卒。9歳で大叔父の西村尚己に祭囃子の手ほどきを受け、15歳で「江戸里神楽」若山流四世家元、若山胤雄に祭囃子、神楽囃子を師事。18歳で鳳聲流分家家元、鳳聲晴雄(若山胤雄の邦楽での芸名)に長唄囃子を師事。2004年鳳聲晴久の名を許される。長唄および神楽 や祭囃子の笛の演奏家として活躍するほか、研究・教育の分野でも才能を発揮する。
望月左太寿郎(もちづき・さたとしろう)邦楽囃子方
1980 年、日本舞踊立花流の二代目家元、立花寿美造の長男として静岡県伊東市に生まれる。幼少より日本舞踊、お囃子、長唄など伝統文化を学び、囃子を田中佐喜稲、藤舎呂慶に師事。1999年より望月左太郎に師事し、2005年望月左太寿郎の名前を許される。東京藝術大学邦楽科別科修了。国内外の舞踊会・演奏会 などで活躍するほか、舞踊家、立花中三朗としても活動する。
望月正浩(もちづき・まさひろ)邦楽囃子方
1975年生まれ。幼少より父、三代目望月太喜右衛門に師事。高校卒業後本格的に活動を始める。日本舞踊、長唄演奏会などを中心に、洋楽とのセッション、演劇の劇伴音楽等、様々な活動を行っている。